自薦他薦を問わず OP_RETURN記録の報告をして相互に鑑賞致しましょう。手動承認により掲載されないことがありますので御了承下さい。
OP_RETURN報告
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Saijo Yaso:The canary that forgot his song
https://mempool.space/ja/tx/0f54a33035834215b7f1bc7b6e05da4e2a3a1d02ba44ff89fa0c6ff90b2b4f9f
日本では有名な西條八十さんの「かなりや」を、全世界に向けて、opreturnで送信致しました。この名曲は英語をはじめ世界各国の言語に翻訳されて広まっています。西條八十のやさしいまなざしが世界に癒しを与えているのです。
かなりや 西條八十(一)
唄(うた)を忘れた金絲雀(かなりや)は
後(うしろ)の山に棄(す)てましょか。
いえいえそれはなりませぬ。
唄を忘れた金絲雀(かなりや)は
背戸(せと)の小藪(こやぶ)に埋(う)めましょか。
いえいえそれはなりませぬ。
唄を忘れた金絲雀は
柳(やなぎ)の鞭(むち)でぶちましょか。
いえいえそれは
かわいそう。
唄を忘れた金絲雀は
象牙(ざうげ)の船に銀の櫂(かい)
月夜(つきよ)の海に浮(うか)べれば
忘れた唄をおもひだす。
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子供の時から聴いたり歌ったりしている「かなりや」に、どんな思いが込められているのか、成田為三さんの解説と西條八十さんのエッセーで知ることができます。これは、当然に、カナリアの事じゃあないのです。それは元気をなくして人間についての歌だったのです。八十は明治大正昭和を生き抜いた詩人でしたから、戦乱で傷ついた人々も多かったのでしょう。それは、もしかすると、自分自身のことかもしれません。それか愛する家族が意気消沈しているのかもしれません。その元気をなくした人に対して、あれやこれやと働きかけてもうまく行かないよ、それは静かな心休まる環境に置いて、ゆっくり待ちましょうね、ということなんですね。それは、身近に抑うつ状態を体験した詩人自身による癒しの歌だったのです。
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西條八十(さいじょう やそ)の紹介
生年月日:1892年(明治25年)1月15日
没年月日:1970年(昭和45年)8月12日
出身地:東京府東京市(現在の東京都)
職業:詩人、作詞家、童謡作家、翻訳家、大学教授生涯と経歴
西條八十は、明治時代の東京に生まれ、早稲田大学仏文科を卒業しました。フランス象徴派詩人の影響を受け、抒情的で美しい詩を多く残しました。大正から昭和初期にかけて、詩人としてだけでなく、歌謡曲や童謡の作詞家としても名を馳せ、日本の大衆文化に大きな影響を与えました。また、戦後は早稲田大学の教授として後進の指導にもあたり、日本の文学・音楽文化の発展に尽力しました。
詩人としての活動
西條は、象徴主義やロマン主義の影響を受けつつ、日本の抒情詩に独自の世界観を確立しました。特に詩集『砂金』(1922年)や『母の歌』(1923年)は、その繊細で美しい表現が評価され、多くの読者に愛されました。また、彼の詩には、母や故郷を思う情感豊かな作品が多く見られます。また、フランス詩の翻訳にも力を入れ、ジャン・コクトーやポール・ヴェルレーヌなどの作品を日本に紹介しました。
童謡・歌謡曲の作詞家としての活躍
西條八十は、詩人としての活動と並行して、童謡や歌謡曲の作詞も多く手がけ、日本の音楽文化に多大な貢献をしました。彼の作品は、世代を超えて親しまれる名曲が多く存在します。代表的な童謡
「かなりや」(作曲:成田為三)
「肩たたき」
「証城寺の狸囃子」(作曲:中山晋平)
特に「かなりや」は、大正時代を代表する童謡として有名であり、現在でも多くの人々に親しまれています。代表的な歌謡曲
「東京行進曲」(1929年、作曲:中山晋平)
「青い山脈」(1949年、作曲:服部良一)
「蘇州夜曲」(1940年、作曲:服部良一)
「誰か故郷を想わざる」(1940年、作曲:古賀政男)
「青い山脈」は、戦後日本を象徴する明るい青春歌として非常に人気を博しました。一方で「蘇州夜曲」や「誰か故郷を想わざる」は、美しく哀愁を帯びた歌詞が印象的で、今もなお歌い継がれています。戦争と戦後の活動
戦時中は、戦意高揚のための国策歌も手がけ、「愛国行進曲」などの作詞を行いました。しかし、戦後は平和への願いを込めた詩作や歌詞に重点を置き、「青い山脈」などの作品で新たな時代の希望を歌いました。また、早稲田大学の教授として、文学・詩作の教育にも携わり、詩人・作詞家としての後進を育てることに尽力しました。
晩年と死去
晩年は、引き続き詩作や作詞活動を続けながら、文化勲章の候補にも挙げられるなど、日本文学・音楽界での功績が広く認められていました。1970年8月12日、78歳で死去。彼の作品は今なお多くの人々に愛され、日本の文化に深く根付いています。西條八十の功績と影響
西條八十は、日本の詩・音楽文化において多大な影響を与えた人物です。彼の詩や歌詞は、単なる娯楽を超え、人生や情感を豊かに表現するものとして、多くの人々の心に刻まれています。また、彼の翻訳詩は、日本の文学界にフランス詩の美学を紹介する重要な役割を果たしました。詩、童謡、歌謡曲と多方面で活躍した彼の功績は、今なお日本文化の中に生き続けています。
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Zeami Motokiyo:Fushikaden,Kadensho,Flowering Spirit
https://mempool.space/ja/tx/42ba9826bc0392637b7f606f079d215203761d517b953d1bdb007416f10c4b65
世阿弥の風姿花伝をopreturnで送信してみました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E5%A7%BF%E8%8A%B1%E4%BC%9D
有名な言葉をここに記したいと思います。
「是非の初心忘るべからず、時々の初心忘るべからず、老後の初心忘るべからず。」
初心者の時の気持ちをいつでも思い返して芸を磨きなさい。
「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり。この分け目を知ること、肝要の花なり。」
芸の神髄はあからさまにしてはならない。こうだよああだよと出してしまったら魅力が無くなってしまう。
出さないけれど一生懸命に芸の神髄を表現する、そのギリギリのところが大事である。
「立合ひの席、己が気勢充満せりときは、いと勇猛なり。されば、斯く称へ、此れを「男時」と謂ふ。
また、相手の勢いの盛るるに従ひ、己が力散漫せる様は、かくして「女時」と謂ふべし。
男時にあらば、迷ひなくして、全身全霊を以て攻勢に転ずること、即ち猛然たる行動を貫かん。
然るに、女時においては、むやみに先手を打たず、冷静なる心を保ち、時機を伺ひ、待つべし。
斯くして、男時と女時とは、勝負の際における己が内面の状態を示す指標なり。
常に己の勢いとその消長を知り、適切なる行動を選ぶこと、これこそ芸を究める道と説かる。」芸を極めるには、動きのタイミングを考えることが大切である。
舞台で相手と立ち合いをしている時は、お互いの気勢を感じて瞬時に全身全霊で表現しなさい。「芸の道を究めんと欲する者、己が内に溺りて己を誤ることなかれ。
常に外の客の如く、遠くより自己を眺み、己の真価を省みるべし。
離見の見にて、己が舞台上の所作・身振りを客観に観察し、微妙なる美意を知ること、
これを以て芸の真髄と成さん。眼前の姿に囚われず、心は常に後ろに置き、
全体の流れを俯瞰すること、斯くして真の風流を得んとす。
かくして、離見の見を実践することにより、芸人は己の欠陥を認め、不断の修練に励み、
より一層の高みを目指すべし。常に客の目を借り、謙虚なる心を保ちつつ、
芸の道を邁進すること、これ芸道の不可欠なる心得なり。」芸の道を究めるには自分を客観的に見ることが大切である。
客が自分をどう見ているか、遠くから見ている客の立場で自分を見なさい。
この「離見の見」を体得することにより、一層の高みを目指すことができる。「古より能の道は、血筋のみを以て継がるるにあらず。
師弟の相伝にてその精髄を受け継ぎ、日々研鑽を重ねんこと、こそ真に家と謂はるべし。
初志の心を堅く持ち、先人の教えを胸に刻むる者、斯くして其の芸は永く輝くものなり。
家、家にあらず。継ぐをもて家とす。
斯くの如く、後に来る者は、先代の心得を承り、己が道を磨き、絶えず新たなる試みに臨むべし。
師の伝統をただ受け継ぐにあらず、己の創意をも加へ、真の家族の如く一族の絆を固く結び、芸の花を後世に伝へんとす。」能の芸道は血筋で継ぐものではない。師弟で受け継がれた精神が最も大切である。
芸道を継ぐものは先代の精神を学び、これに自分の創意を加えて芸の花を後世に伝えなければならない。—
いつも思うのですが、風姿花伝は「能の心得書」の範疇を超えて誰にも参考になる人生訓になっていると思います。
しかも、それは時代を超えています。21世紀の現代の我々にも参考になる考え方になっているわけです。
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How can we make everyone smile?
https://mempool.space/ja/tx/7d7db8ea3a29932733d63c1870568f752a4be266994806dd3e741ef086757909
OP_RETURNの書き込みは、ビットコインのブロックチェーンに刻まれ消すことのできない強固な記録です。そこに何を記録したいかといえば、やはり世界平和の願いです。少し調べてみたら、次の紛争が継続中でした。
・ウクライナ紛争
2014年以降、ロシアの介入や2022年2月以降の全面侵攻により激化。多くの民間人犠牲者と難民が出ています。・シリア内戦
2011年のアラブの春から始まり、政府軍・反政府勢力・テロ組織など複数の勢力が衝突。多数の死傷者と難民問題を引き起こしています。・イエメン内戦
2015年から続く内戦。フーシ派と国際的に認められた政権、さらにはサウジ主導の連合軍が関与し、深刻な人道危機を招いています。・イスラエル・パレスチナ紛争
長期にわたる対立に加え、近年はガザ地区などで激しい戦闘が発生。双方に深い歴史的・政治的背景があります。・ミャンマー内戦
2021年のクーデター以降、軍事政権と反政府運動(市民武装や民主化勢力)との間で激しい衝突が続いています。・アフガニスタン紛争
タリバン政権の復権後も、反政府勢力やテロ組織との衝突が断続的に発生しています。・ティグレ紛争(エチオピア)
2020年以降、エチオピア北部ティグレ州で政府軍と現地武装勢力との間で激しい戦闘が続いています。・ナゴルノ・カラバフ紛争
アルメニアとアゼルバイジャン間の領土問題。2020年に大規模な衝突があり、現在も停戦状態ながら緊張が続いています。・カシミール紛争
インドとパキスタン間で、カシミール地方の帰属を巡って長年にわたる対立が続いています。・ソマリア内戦
長期化する内戦状態の中、アルシャバブなどの武装勢力が活動。治安の不安定さが続いています。・コンゴ民主共和国の紛争
東部地域などで、武装勢力や民族間対立による衝突が断続的に発生しています。・中央アフリカ共和国内戦
国内の武装集団間の抗争が続き、深刻な人道危機を引き起こしています。・ナイジェリアの武装勢力紛争
ボコ・ハラムなど過激派によるテロ活動や武装衝突が国内各地で発生しています。・カメルーンのアンゴロフォニック紛争
英語圏とフランス語圏の住民間の対立が激化し、治安の不安定さを招いています。・西サハラ問題
西サハラの帰属を巡り、モロッコとサハラアラブ民主共和国(ポリサウィア)との間で対立が続いています。—
それぞれの陣営に「正義」があり、正義と正義の衝突になっています。どちらか一方の正義を採用して、その基準に従って紛争を処理することはできません。ただ、紛争で女性や子供など弱い立場の人々が犠牲を強いられていることは共通しています。どちらか一方の正義を採用するのではなく、どうしたら笑顔を取り戻せるか、それをみんなで考えるという態度が必要なのでしょう。わずかな歩みかもしれませんが、管理人の場合は、How can we make everyone smile? これをブロックチェーンに記録して拡散させるという行為により、良い方向への働きかけとしたいと思いました。
噓つきは泥棒の始まり、といいますが、身の回りの小さな不正や不公正が、やがて大きなジェノサイドに繋がって行くのだと思います。つまり、身の回りの正義や治安を維持するということです。
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