OP_RETURN報告

自薦他薦を問わず OP_RETURN記録の報告をして相互に鑑賞致しましょう。手動承認により掲載されないことがありますので御了承下さい。

コメント

“OP_RETURN報告” への142件のフィードバック

  1. admin

    Santoka:Hitori sunde/Living alone, nothing to throw away

    https://mempool.space/ja/tx/e8e91f1eb67193de06dd91f83dceeb82624babecb34c22041d41fb582481a6a4

    種田山頭火の俳句をop_returnで世界に送信致しました。

    「ひとり住んで捨てる物なし」

    行乞僧だった山頭火さんですが、なんとこれは、仏教の教えのような俳句になっています。

    ひとりで粗末な庵に住んでいるが、貧しい生活なので何でも大切だ。箸でも器でも、ちり紙でも、何でも再利用して最後の最後まで使う。どうしても使えなくなったら燃やして暖を取る。要するに捨てるものなど何もないのだ。思ってみれば、人だってそうかもしれない。捨てるような人なんて居ない。誰にも何かの役割があるだろう。私は旅の行乞僧のまねごとをしているが、そんな私にも何かの意味はあるのかな。私が居なければ喜捨する機会を失った人があるのかもしれない。そう考えると、明日もまた行乞する元気が湧いてくるものだ。

    ところで、この俳句って季語あるんでしょうか。

    どの単語にも季節は感じられません。「ひとり住んで」という寂しい気持ちは秋とか冬を連想させます。出かけないので誰とも会わないんですね。そして、捨てるという行為は、季節の変わり目を連想させる気も致します。そうであれば、秋から冬への季節の変わり目なのかも知れません。冬ごもりの準備で、町の人々は色んなものを捨てて忙しいようだが、ひとり暮らしの自分には捨てるものなど何もない、という事なのかも知れません。

  2. admin

    Santoka:Wakeitte mo/Proceeding through the green mountains didn’t heal me

    https://mempool.space/ja/tx/7564b5d1e4b8ec1ce86d9c83c7fc9653fa60f392a89b848dc9d4dcc019323887

    こちらも種田山頭火の俳句を世界に宣伝したくてop_return送信したものです。

    「分け入っても分け入っても青い山」

    わけいっても→6音
    あおいやま→5音

    ということで、5-7-5ではなく、6-6-5の俳句となります。これでは5-7-5のリズムは無いし、5-7-5の原型を留めないほどに変容されてしまっているわけです。だからこれを俳句に分類することが本来はできない事の様にも思えるのですが、山頭火が俳人なので俳句に分類されているのですね。

    「分け入る」とは、道なき道を行ってる、ということでしょう。「青い山」は、種田山頭火の無季自由律俳句において詠まれているため、基本的には季語とはされません。しかし、どうしても季語として選ぶならば、一般には夏の季語と解釈されることが多いです。

    鑑賞してみましょう

    夏の山を越えている。誰も居ない、けものみちをのぼっている。峠道だが、草が伸び放題で、人の背丈ほどにも伸びている。草いきれで、息苦しいほどだ。草の生命力に満ちているのに対して、自分の気力は意気消沈して対照的だ。放浪の旅で孤独に蝕まれている。草をよけて進んでも、また、草の壁が出現する。草はどうしてこんなに元気なのだろう。ああ、この照り付ける太陽の恵みを受けて茂っているのか。私も草の様に太陽の恵みを受けたいものだ。

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