自薦他薦を問わず OP_RETURN記録の報告をして相互に鑑賞致しましょう。手動承認により掲載されないことがありますので御了承下さい。
OP_RETURN報告
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Chien-Shiung Wu and Irving Shaknov reported quantum entanglement first in 1950
https://mempool.space/ja/tx/1c6505a0aa629aaea619c24c572498611f3e0246f7895f41fe83f9f59c951b88
女性科学者シリーズで、世界で初めて量子もつれを報告した呉健雄(ご けんゆう)さんをopreturnで送信致しました。中国のキューリー夫人(ウー夫人)と呼ばれているそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E5%81%A5%E9%9B%84
日経サイエンス2023年12月号で紹介されています。世界を先駆けた研究に驚きます。
https://x.com/NikkeiScience/status/1721808844492570933
https://arxiv.org/pdf/2502.06458
『1949年、呉健雄と学生のIrving Shaknovは、陽電子と電子の対消滅による散乱光子の角度相関を研究しました。Wu-Shaknov実験により、重要な理論的予測値が確認されました。この実験は、1946年にJohn Wheelerによって提案されたもので、陽電子と電子の対消滅時に放出される2つの光子は、全角運動量がゼロであり、互いに直角に同時計数されなければならないという量子力学の予測を検証するために行われました。Wheelerが提案した実験では、各フォトンは電子線によって散乱され、フォトンの初期方向に対して極角であるが、方位角の違いが異なる同じ散乱角で散乱された2つのフォトンについて同時測定が行われます。重要な量は、平行散乱方向と垂直散乱方向の偏光率の非対称比です。』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%9D%E3%83%89%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9量子もつれの起源は勿論、ボーアの量子条件、シュレーディンガー方程式とハイゼンベルグ方程式、不確定性原理からなる量子力学のコペンハーゲン解釈なのですが、「それっておかしくない?」という疑問を突き付けたのが、1935年のアインシュタインポドフスキーローゼンのEPR論文なんですね。2個の量子が同調する量子もつれは波動方程式の帰結ですが、理屈上、その量子はどれだけ離れても構わず、ひとつの量子の条件が、もう片方の量子の条件を決定するように見えるので、ふたつの量子の間で情報が伝わっているように見えるわけです。その伝達速度が光の速度を超えるのはありえないだろ、という文句なんですね。
ウー夫人は量子もつれを初めて観測しましたが、ベルの不等式を破っている(隠れた変数論などの局所実在論が誤っている)ことを実験で証明したのは、2022年のノーベル物理学賞を受賞したジョン・クラウザー、アラン・アスペ、アントン・ツァイリンガーの3人らでした。
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I had a great desire to read the bible the whole day at home
わたしは家で一日中聖書を読んでいたいと真に願った
https://mempool.space/ja/tx/1c743d53141eed9133b767e3c4f50631d3c7f836bc14779d9b5a882d0270b586
やはり、イクイアーノさんの「奇妙な物語」からの一節をopreturnで送信致しました。10章からの引用です。
https://pressbooks.library.torontomu.ca/lifeofolaudahequia/chapter/10/
I had a great desire to read the Bible the whole day at home; but nit having a convenient place for retirement, I left the house in the day, rather than stay amongst the wicked ones; and that day, as I was walking, it pleased God to direct me to a house, where there was an old sea-faring man, who experienced much of the love of God shed abrouad in his heart. He began to discourse with me; and, as I desired to love the Lord, his conversation rejoiced me greatly; and indeed I had never heard before the love of Christ to believers set forth in such a manner, and in so clear a point of view. Here I had more questions to put to the man than his time would permit him to answer: and in that memorable hour there came in a Dissenting Minister; he joined our discourse, and asked me some few questions; among others, where I heard the gospel preached? I knew not what he meant by hearing the gospel; I told him I head read the gospel: and he asked me where I went to church, or whether I went at all, or not? To which I replied, ‘I attended St. James’s, St. Martin’s, and St. Ann’s, Soho.’ — ‘So,’ said he, ‘you are a churchman?’ I answered, I was. He then invited me to a love feast at his chapel that evening. I accepted the offer, and thanked him; and soon after he went away. I had some further discourse with the old christian, added to some profitable reading, which made me exceedingly happy. When I left him he reminded me of coming to the feast; I assured him I would be there. Thus we parted, and I weighed over the heavenly conversation that had passed between these two men, which cheered my then heavy and drooping spirit more than any thing I had met with for many months.
私は家で一日中聖書を読みたいと強く思っていましたが、そのような場所がなかったので、不信心者たちの中にいるのではなく、その日に下宿を出ました。そしてその日、私が歩いていたとき、神は私をある家に案内してくれました。そこには、神の愛の多くを心の中で経験した船乗りの老人がいました。彼は私と話を始めました。私が主を愛したいと思ったとき、彼の会話は私を大いに喜ばせました。そして実際、私はキリストの信者への愛がそのような方法で、非常に明確な視点で述べられているのを聞いたことがありませんでした。ここで私は、彼の時間が許す以上に多くの質問をする必要がありました。そしてその記憶に残る時間に、非国教派の牧師がやってきました。彼は私たちの談話に加わり、私にいくつかの質問をしました。とりわけ、私は福音が説教されているのをどこで聞いたのかと聞かれた。私は福音を聞くことが何を意味しているのかわかりませんでした。私は彼に福音を読んでいると言いました。彼は私がどこの教会に行ったのか、あるいは行ったことがあるのか、ないのかと尋ねました。それに対して私は、「私はソーホーの、聖ジェイムズ、聖マーティン、聖アン教会に通っていました」と答えました。「それで、あなたは国教徒なのですね」と彼は言いました。私はそうだと答えました。彼はその晩、彼の礼拝堂での愛餐会に私を招待してくれました。私はその申し出を受け入れ、彼に感謝しました。そして彼が去った直後に、私は非常に幸せになりました。私が彼と別れたとき、彼は私に祝宴に来ることを忘れないようにと言ったので、私は必ず行くと答えました。こうして私たちは別れ、私はこの二人の男性と交わした神聖な会話を熟考しました。その会話は、私が何ヶ月も会ったどんなものよりも、当時の重くて沈んだ私の精神を元気づけてくれました。
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イクイアーノさんは信仰に目覚めて一日中家で聖書を読んでいたいという気持ちになりましたが、当時の環境はそれを許さなかったので、即座に下宿を出たのです。そうしたら、犬も歩けば棒に当たると言いますが、老船員や牧師に会うことができ、信仰を再確認することができたのです。初対面の老船員も、非国教会の牧師も、イクイアーノさんの話す言葉に驚いたことでしょう。遠く離れたアフリカから来た黒人の少年の心にキリスト教の精神が宿っていたからです。
冒頭の一文だってそうです、「私は一日中聖書を読んでいたい」なんて言葉は、作為で作り出せるものではありません。真に願っている人から出てくる言葉でしょう。そういう言葉に触れて、老船員も牧師も親切に教義を教えてくれたのです。真に願った事は実現するということでしょうか。
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what a bad use I had made of the faculties I was endowed with
私は神に授けられた能力をなんと無駄にしていたことか!
https://mempool.space/ja/tx/fa43bdffa4bf6de9b34052963ee528372c0f42b3a0972f173e3b83649c5c5722
やはり、イクイアーノさんの「奇妙な物語」からの一節をopreturnで送信致しました。10章からの引用です。
https://pressbooks.library.torontomu.ca/lifeofolaudahequia/chapter/10/
The Lord, who is long-suffering, and full of compassion to such poor rebels as we are, condescended to hear and answer. I felt that I was altogether unholy, and saw clearly what a bad use I had made of the faculties I was endowed with: they were given me to glorify God with; I though, therefore, I ha better want them here, and enter into life eternal, than abuse them and be cast unto hell fire. I prayed to be directed, if there were any holier persons than those with whom I was acquainted, that the Lord would point them out to me. I appealed to the searcher of hearts, whether I did not wish to love him more, and serve him better. Notwithstanding all this, the reader may easily discern, if a believer, that I was still in nature’s darkness. At length I hated the house in which I lodged, because God’s most holy name was blasphemed in it; then I saw the word of God verified, viz. ‘Before they call, I will answer; and while they are yet speaking I will hear.’
主は、私たちのような愚かな不心得者に対して、長い間悩まされながらも、憐れんで下さり、耳を傾けて答えてくださいました。私は自分が全く神聖から離れていたと感じ、私が与えられた能力をどれほど悪用したかをはっきりと感じました。その能力は、神を賛美するために私に与えられたのです。だから私は、それを無駄にして地獄の火に投げ込まれるよりも、ここから永遠の命(神の国)に入ることを望んだ方がいいと思ったのです。私は、もし私が知っている人よりも聖なる人がいたら、主が彼らを私に指し示してくださるように祈りました。私は心の中で、神をもっと愛し、もっとよく仕えたいとは思わないかと自問しました。これらすべてにもかかわらず、読者は、もし信者であれば、私がまだ自然の闇の中にいることを容易に見分けることができます。ついに私は、私が当時居た家を憎んだ。なぜなら、そこには神の最も神聖な御名が冒涜されていたからである。そのとき、私は神の言葉が立証されたのを見た。すなわち、「彼らが呼ぶ前に、私は答え、彼らがまだ話している間に、私は聞くだろう」。
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最後の言葉は、出典が明記されていませんが、イザヤ書65章24節です。
https://biblehub.com/isaiah/65-24.htm
全知全能の神は、人の祈りに対して、「あなたが祈ることは全て私が聞き入れてあげよう」と答えているというわけです。金縛りのような神秘体験をしたイクイアーノは、今までの自分の行動は間違っていたと悟るのです。神から与えられた身体と能力を、正しく使わなければならないと気付いたのです。それが、まあ、奴隷貿易禁止運動に繋がって行くわけです。もちろん、この伝記を遺すことも含まれています。すべての人々は心から行動を悔い改めれば、世界は正しい方向に修正できるでしょう。
時間も場所も違いますが、21世紀の現代の我々にとっても、「正しい行動」というものがあるはずです。イクイアーノさんにとっては奴隷貿易禁止運動でしたが、私たちにとっては何でしょう。自分で考えて実践していきたいものです。
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the sense of God’s mercies was so great on my mind when I awoke
わたしは眠りから覚めたとき、神の慈悲を受けているという感覚があまりにも強く感じられたので、そのあいだしばらく身体にまったく力が入らず、ぐったりとしていた。
https://mempool.space/ja/tx/8d5e919f8e80a9bfabc2fcb5cad8d37b61efcb46fc0b0650c46334a680852f15
やはり、イクイアーノさんの「奇妙な物語」からの一節をopreturnで送信致しました。10章からの引用です。
I then in the greatest agony requested the divine Creator, that he would grant me a small space of time to repent of my follies and vile iniquities, which I felt were grievous. The Lord, in his manifold mercies, was pleased to grant my request, and being yet in a state of time the sense of God’s mercies were so great on my mind when I awoke, that my strength entirely fail|ed me for many minutes, and I was exceedingly weak. This was the first spiritual mercy I ever was sensible or, and being on praying ground, as soon as I recovered a little strength, and got out of bed and dressed myself, I invoked Heaven from my inmost soul, and ser|vently begged that God would never description again permit me to blaspheme his most holy name.
そのとき私は、自分の愚かさと卑劣な不正を悔い改めるためのわずかな時間をお与えくださるよう、苦悶しながら創造主に願った。主はそのさまざまな憐れみによって、私の願いを喜んでかなえてくださった。あるときわたしは目が覚めて、神の慈悲を受けているという感覚があまりにも強く感じられたので、しばらく身体に力が全く入らず、ぐったりとしていたことがあった。これが、私がこれまでに感じることができた初めての霊的な慈悲であった。少し力が回復してベッドから起き上がり、服を着るとすぐに、心の奥底から天に祈り、私が神の最も聖なる御名を冒涜したら二度とお許しくださらないよう、懇願した。
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これはいわゆる「神秘体験」というやつですね。日本語では「かなしばり」とも言いますが、イクイアーノさんが神の慈悲を直接感じたものすごく大きな体験でした。これが、奴隷貿易廃止運動に邁進する原動力となり、本当に歴史を動かしてしまったのですから、ある意味「奇跡」と言っても良いのでしょう。ふつうこういうことがあると、カトリック教会は「列聖」「列福」ということをやるのですが、現在のところそうなっていないようです。
このことをchatGPT o3-mini-high 先生に質問したところ、つぎのような回答でした。
『イクイアーノさんが残した言葉は、確かに彼の心に神の慈悲が深く働いていたことを示唆しており、個人的な霊的体験としては非常に印象的です。しかし、カトリック教会において列福(ベネディフィカティオ)や列聖(カノニゼーション)のプロセスは、単に神秘体験をしたというだけではなく、その人物の生涯全体が「英雄的な徳」(ヒロイック・ヴァーチュー)に満ち、また教会内外で広く信仰の模範として取り次がれているか、さらにその取り次ぎによる奇跡が死後に起こったという厳格な証拠が必要とされる極めて厳しい手続きです。
イクイアーノさんは奴隷制度廃止運動において多大な功績を残し、その自叙伝は社会に強い影響を与えましたが、彼は伝統的な意味での宗教的聖性を示す生活(たとえば、聖職者としての奉仕や殉教など)を全うした人物として、カトリック教会内部での信仰共同体に広く認識されているわけではありません。また、列福・列聖の候補となるためには、教会が長い年月をかけた調査や、奇跡の承認など多くの要件を満たす必要があり、現時点でイクイアーノさんに関してそのような動きがあるという情報は見受けられません。
したがって、彼の霊的体験や業績が非常に尊いものであるとしても、カトリック教会の聖人列に加える(列福・列聖する)ための基準やプロセスは、単なる個人的体験や功績だけではなく、教会全体での広範な認識と奇跡の承認など、もっと複雑かつ厳格なものです。現状では、イクイアーノさんが列福または列聖の候補として正式に検討される動きは見受けられないのが実情です。』
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I saw that ‘there is no new thing under the sun,’ Eccles. i. 9
ひのもとに新しきものは無し(コヘレトの言葉、伝道の書1章9節)
https://mempool.space/ja/tx/b81f1b0f85d2a9e39cb3e75570d40050e52f3e164a9c098890ca0d4ce9669380
やはり、イクイアーノさんの「奇妙な物語」からの一節をopreturnで送信致しました。10章からの引用です。
https://pressbooks.library.torontomu.ca/lifeofolaudahequia/chapter/10/
I was again determined to go to Turkey and resolved, at that time, never more to return to England. I engaged as steward on board a Turkeyman the Wester Hall, Capt. Lina), but was prevented by means of my late captain Mr. Hughes, and others. All this appeared to be against me, and the only comfort I then experienced was in reading the Holy Scriptures, where I saw that ‘there is no new thing under the sun,’ Eccles. i. 9. and what was appointed for me I must submit to. Thus I continued to travel in much heaviness, and frequen ly murmured against the Almighty, particularly in his providential dealings; and, awful to think! I began to blaspheme, and wished often to be any thing but a human being. In these severe conflicts the Lord answered me by awful ‘visions of the night, when deep sleep falleth upon men, in slumberings upon the bed,’ Job xxxiii. 15. He was pleased, in much mercy, to give me to see, and in some measure understand, the great and awful scene of the Judgement-day, that ‘no unclean person, no unholy thing, can enter into the kingdom of God,’ Eph. v. 5.
私は再びトルコに行くことを決意し、その時、もう二度とイギリスには戻らないと決心した。私はトルコ人のウェスター・ホール号(リナ船長)に船員として乗り組んだが、前の船の船長ヒューズ氏らの妨害に遭った。そのとき私が経験した唯一の慰めは、聖書を読むことであった。そこで私は、「太陽の下(この世)に新しいものはない(神の国に真理がある)」(コヘレトの言葉、伝道の書1.9)を知った。これこそ、私が従わなければならないと定められたことだった。こうして、私は多くの苦難の中で旅を続け、全能の神、特にその摂理的な御業に対して不満を述べることもあった!私は神を冒涜するようになり、人間以外の何かになりたいとさえ願うようになった。このような厳しい葛藤の中で、主は私に、「深い眠りが人を襲い、まどろみが寝床に沈む夜の幻」(ヨブ記23章15節)で答えてくださった。汚れた者も、堕落した者も、神の国に入ることはできない」(エフェソ信徒への手紙5章5節)という審判の日の偉大で恐ろしい光景を、主は多くの憐れみをもって私に見せてくださり、多少なりとも理解させようとして下さったのである。
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自由民となったイクイアーノは北極航路探索隊に、海水蒸留技術の発明者であるアーヴィング博士とともに乗船して、北緯80度まで到達したものの流氷に囲まれて身動きの取れない事態となってしまいましたが奇跡的に一方向の氷が解け始め、生還できました。そして、ロンドンで聖書を読む日々を過ごしたものの、現地の人々よりもトルコ人の方が神の教えに近いと感じ、トルコ行きの船を探し、乗船しますが、そこでも様々な苦難に直面します。信仰を失いかけたイクイアーノを救ったのは旧約聖書の言葉だったのです。
「日のもとに新しきものはなし」
日のもと、太陽の下というのは、この世、現世ということです。じゃあ、どこに新しい真実があるのか、それは当然、天上界、神の国ですね。
現実世界で誰に何を言われても、どんなにひどい目にあっても気にするな、神の国に到達すれば、新しい真理の中に入れるのだ、ということなんですね。まあ、形而上学の一種ということです。
じゃあ、どうやって神の国に行けばよいのか、それは聖書を読んで、イエスの時代の生活を実践することなんじゃなかろうか、とイクイアーノさんは気付いたのでしょう。それで、少しでも道徳的に正しい生活を実践しているトルコ人の人々のところに行ってみようと思ったわけです。
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