OP_RETURN報告

自薦他薦を問わず OP_RETURN記録の報告をして相互に鑑賞致しましょう。手動承認により掲載されないことがありますので御了承下さい。

コメント

“OP_RETURN報告” への124件のフィードバック

  1. admin

    I have been crucified with Christ,and I no longer live,but Christ lives in me.

    https://mempool.space/ja/tx/f834c6186cf64d279172b45599d43e26462bd97bcc605c6785b3be7c62bcbdd5

    NHKテキスト100分で名著「新約聖書」で学んだ言葉、ガラテヤ人への手紙2章20節を OP_RETURN で送信してみました。

    >私はキリストとともに十字架につけられました。
    >もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
    >いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった
    >神の御子を信じる信仰によっているのです。」

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AD

    これは使徒パウロの言葉です。パウロはユダヤ教徒でしたが、イエスの死後にイエスが
    キリストであると信じる集団に入信しました。パウロの人生はユダヤ教を継承するキリスト教
    の形成そのものでした。

    パウロはキリストの生涯を振り返り、それを追体験し、それと一体化して、ついに、

    「私もキリストと共に磔にされて、死んだ」

    という結論に至ります。滅私奉公です。

    さて、死んだ「わたし」は今、何なのか、

    キリストによって「生かされているわたし」というのです。

    信仰と一体化された「わたし」を実感しているわけです。生きているんじゃなくて、生かされている。

    信仰によって。

    そしてもちろん、信仰の中心は「汝の隣人を愛せ」ということなんですね。

    ヨハネ伝15章12節

    >わたしがあなた方を愛したように
    >あなた方が互いに愛し合うこと、
    >これがわたしの掟である。

    使徒パウロといてば、メンデルスゾーンのオラトリオ「パウロ」が思い出されます。

    https://youtu.be/dUtMFFPxUF0

  2. admin

    Now I tell you to love each other, as I have loved you. John 15:12

    https://mempool.space/ja/tx/c298a2056a77050c55777cf31f3f9b52151aed48cea7a642f52a50ad5ef4d7a2

    NHKテキスト100分で名著「新約聖書」で読んだ、ヨハネ伝15章12節の文章を、op_returnで送信してみました。管理人はキリスト教徒ではありませんが、色んな宗教の経典を読むと考えさせられたり共感させられたりします。

    100分で名著「新約聖書」のガイド若松英輔さんが最も大切にしている言葉ということです。イエスが逮捕される前に、弟子たちに向かって語った言葉です。

    わたしがあなた方を愛したように
    あなた方が互いに愛し合うこと、
    これがわたしの掟である。

    イエスは「わたしがあなた方を愛したように、あなた方は神を愛せ」と言ったのではありません。「互いに愛し合いなさい」と命じたのです。神の愛を感じ直すことにより、互いに愛し合いなさい、ということなんですね。隣人を愛せ、ということですね。

    ヨハネ伝15章14節-15節

    わたしが命じることを行うなら、
    あなた方は私の友である。
    もう、わたしはあなた方を僕とは呼ばない。
    僕は主人が何をしているか、
    知らないからである。
    わたしはあなた方を友と呼ぶ。
    わたしは、父から聞いたことはすべて、
    あなた方に知らせたからである。

    なんと、この掟を守れば、神の僕じゃなくて「神の友」になれるというのです。

  3. admin

    The centurion replied,”Lord,I do not deserve to have you come under my roof.”

    https://mempool.space/ja/tx/8a3798e1a2f7ae84aa431be6484ea72fbd9cc5f940827cf6c4b3409edecf2617

    NHKテキスト100分で名著「新約聖書」で読んだ、マタイ伝8章8節の文章を、op_returnで送信してみました。管理人はキリスト教徒ではありませんが、色んな宗教の経典を読むと考えさせられたり共感させられたりします。

    百人隊長がイエスに「私の部下が中風で苦しんでいます」と訴えると、イエスは「私が行って癒そう」と言うのですが、百人隊長は「主よ、私は貴方をお迎えできるような者ではありません。ただ、言葉を下さらないでしょうか。そうすれば部下は癒されます。」と返答したのです。部下は間もなく死んでしまいますが、心が救われるということを百人隊長は言っているわけですね。

    ヨハネ伝は、「はじめに言葉があった」で始まりますね(ヨハネ伝1章1節)。

    「人はパンのみに生きるにあらず(マタイ伝4章4節)」という有名な聖書の言葉は、「神の口から出るすべての言葉によって生きる」と続いています。このことを百人隊長は知っていたのです。

    人間は、食べることよりも、つまり経済的なことよりも、精神的なこと、魂の問題が、より重要であるということを聖書は言っているんですね。このことを理解していれば、様々な人生の岐路において、正しい、つまり、心が休まる選択をすることができるのではないでしょうか。

  4. admin

    John Ruskin:God has lent us the earth for our life;it is a great entail.

    https://mempool.space/ja/tx/e51ea2e398d0db7636bcf28f6edfc60aa77af765943a3e6b0daf59832bab19fe

    イギリスの美術批評家・社会思想家ジョンラスキンの深いお言葉をop_returnで送信して人類全体の記憶に残したいと思いました。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%B3

    裕福なワイン商の両親のもとに生まれ、福音派の信仰を学んで育ったラスキンでしたが、深い洞察が美術や社会に対して向けられました。
    “The idea of self-denial for the sake of posterity, of practicing present economy for the sake of debtors yet unborn, of planting forests that our descendants may live under their shade … never I suppose, efficiently takes place among publicly recognized motives of exertion. Yet these are not the less our duties; nor is our part fitly sustained upon the earth, unless the range of our intended and deliberate usefulness include, not only the companions but the successors of our pilgrimage. God has lent us the earth for our life; it is a great entail. It belongs as much to those who are to come after us … as to us; we have no right, by anything that we do or neglect, to involve them in unnecessary penalties, or deprive them of benefits which it was in our power to bequeath.”
    ― John Ruskin , The Seven Lamps of Architecture

    「神は我々に地球を一時的に貸し与えた。それは偉大な歴代遺産である。」

    ようするに、地球は我々が生きている間だけ利用できる一時的な貸与物であり、次代の子孫にそっくりそのまま返さなきゃいけないよ、ということを述べているわけです。「子孫のために自己犠牲を払う、まだ生まれていない債務者のために現在の節約を実践する、子孫がその木陰で暮らせるように森林を植える」という言葉もあり、SDGsの起源と言われることもあります。我々が一時的に借りている地球環境を破壊してはいけませんよ、という事を述べているわけです。ジョンラスキンは1819-1900年という19世紀を生きた思想家でしたから、イギリス産業革命を目の当たりに生活していた人でした。人類が地球をどんどん変えていくのを見て、上記の言葉を紡ぎ出したのだと思います。

    勿論、重工業による大気汚染や環境破壊だけでなく、爆弾で都市を壊滅させるのもダメでしょう。地球を一時的に借用させて頂いている、という気持ちがあれば、その土地や資源を奪い合うということは愚かなことに映るでしょう。そういう気付きを与えてくれる名言です。

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